『ハード キャンディ』 | 天井桟敷 映画のはなし

『ハード キャンディ』

2005年 アメリカ  
原題:HARD CANDY  
監督:デヴィッド・スレイド  
脚本:ブライアン・ネルソン  
キャスト:パトリック・ウィルソン、エレン・ペイジ、サンドラ・オー、ジェニファー・ホームズ、ギルバート・ジョン


14歳の少女ヘイリー(エレン・ペイジ)は、インターネットを通じて、32歳の男性ジェフ(パトリック・ウィルソン)と知り合う。

チャットで会話をするうちに2人は親しくなっていき、やがて実際に会う約束をする。

幾分緊張しながら待ち合わせの当日を向かえたヘイリーだったが、清潔で優しそうなジェフに安心する。

さらに意気投合した2人は、ジェフの家でくつろぐことにするのだが、そこで起こる様々な事について知っているのはヘイリーだけだった。


【以下感想というか戯言になります。】



案の定、漏れなくパット(←相変わらずムダになれなれしく呼ぶ)のメガネにどきどきでした・・・(笑)
なんだろうね、大変にインテリ度が増して、大変にかっこよいのです。

ブレザー姿にメガネっていいよな、ううむいいよな。

そのメガネ姿で印象に残ったシーンはやはりヘイリーとカフェで初め会うところでしょうかね。

ケーキのチョコがお口の端についているヘイリーもとても女の子vという感じでかわいいのですがね、そのチョコを指ですいってとってあげて、それをなめるパットを見たときには何が起こったのでしょうか、いまというくらいにきましたね(なにが)

いい。

優しさとえろさと爽やかさとえろさとえろさを兼ね備えたぱとりっく、いい。えろい(黙りなさい・・・)


へイリーがとてもボーイッシュで、実は最初、ちょっとあれれと思ったです。

もう少しだけ女の子ちっくな外見でもよかったのかなぁなどと、ね。

ただ、後で思ったんですが、あれね、あのビジュアルのヘイリーだからよかったのかもしれないですね。

あのヘイリーだから、あからさまにものすごく女の子というわけではないヘイリーだから、なんだかすごく現実味を感じる恐ろしさっていうかね、そんなものを感じるわけですな、きっと。

で、みおわった後、ここまで複雑な心境に陥れてもらえたのはやはり、あのヘイリーだったからなのだろうな。


この映画、パット(というか、ジェフか)のお部屋の中だけで展開されるお芝居なんですがね、すこしだけもったいなかったかなぁと思う部分があったりして。

限られた狭い場所で、たった2人だけで進んでいくわけで、だから、もっとふたりの駆け引きがみたかったなぁと。

少女に追いつめられるジェフのいっぱいいっぱいさはわかるとして(あんなコトされたらそれは、ねぇ)その中でも、あと少しだけでいいからジェフの狡さとか策略だとか、そんなものをみたかったなと思ったです。


あと、ヘイリーについてもう一つだけ。

彼女、自分で言ってますが、どうも精神的に”いじょう”な女の子らしいのですよね。

だからこそ、敵であるジェフに何をするか彼女自身もわからなくて、だからこそ何をされるのか、余計に恐いでしょ?

というところにもっていってると思うのですがね、ちとそれが微妙な気が。

だってさ、ヘイリーが何をしようとさ、所詮は”いじょうしゃ”がやっている、おかしな行動なわけでね。

そうすると、彼女が恐い思いしてまでジェフをやっつけるだけの動機=怒り、っていうのが霞むような気がしてみたり。

彼女のやってるあの行動って、別に少女たちの敵である男をやっつけたいという、ある意味正義から来る行動ではなくて、単に”いじょう”が興味本位でやっている行動に見えるような気がしてさ。

そうなってくるともう、本当にヘイリーって女の子が薄っぺらくなってしまうと思うのですよ。

ヘイリーは、ジェフを軽蔑しているけれど、だけどそのヘイリーだって実はジェフと同じくらいの価値しかないのではないのかなとね。

そうなってくると、この映画のコンセプトっぽい「赤ずきん=少女はかわいいけれどじつは恐いだぜ」というのが弱くなって、

むしろ「いじょうしゃって恐いんだぜ」になってくる気がするのですよね。

ならば、もういっそ、ジェフを追いつめる人物は、「赤ずきん」でなくてもいいじゃないか・・・、少女じゃなくてもいいじゃないかってきにもなるねぇ。マスターでも可なのでは?むしろ、適任者なのでは?げふ。



泣くジェフ。

ちぇき。